醒來時、臉上傳來強烈的疼痛。自己好像在醫院。還搞不清自己為何在此、就知道疼痛的原因於是走到鏡子前、上面映照出的、是彷若他人的自己。(杜拜分局長 山尾和宏)
顏面負傷的女性
「如果我沒跟他結婚、就能完成學業、跟朋友一起到處遊玩了」
說出這段話的是在醫院接受我們採訪的アルアヌード・シャリヤン(19歳)。
她因受到丈夫嚴重施暴而入院。
她的左臉留下類似燒傷的傷痕、左眼幾乎睜不開。因為臉部傷勢、談話當中、數度無法流利地說話。
無論是自己所受的傷害、又或葉門的現狀、她想讓更多人知道這些事、因而答應此次的採訪。
跟母親的幸福生活
她出生在葉門首都沙那。
自她懂事後父親已不在身邊、生活雖不富裕、但跟母親姊姊仍過得很美好。
事件發生數年前的シャリヤン
但是12歲那年的某天、母親毫無預警地對她說。
「你要結婚了喔」
突然跟她說已經幫她談定、跟比她大20歲以上的表哥結婚了。
母親以自己身患重病、這麼做是為她的將來著想為由。雖說是表哥、但從沒見過面、根本不知道他是怎樣的人。
連結婚典禮都沒舉行、她帶著不安住進男方家、開始「新婚生活」。
她當時12歲。完全不懂「結婚」跟「結婚生活」意味著什麼。
暴力的每一天
丈夫不知為何總是一臉不開心的表情。從不與她交談、每次有事就直接對她大吼。
過陣子的某天、丈夫突然抓住她的衣領把她拖到柱子旁、將她的腳跟柱子鎖在一起。
她懇求他別這樣、可丈夫卻什麼話都沒說。之後幾乎每天都用棒子等東西毆打她。痛到她淚流不止。
她想逃離丈夫、可因為鎖頭讓她無法逃離。直到失去意識前、她一直都在承受那暴力。
「他會毫無理由的毆打我。根本不知道在想什麼」
有天、她被允許參加朋友的結婚典禮。
但是、如果被發現身上的傷痕、一定會引起騷動。於是她用衣服遮住傷口、對別人什麼也沒說。
她就是如此畏懼丈夫。
逃脫了、可是…
開始「結婚生活」約2年的某天。她趁機逃離了。
沒有考慮到後果、一心只想逃離眼前的暴力。她逃到同樣在沙那的姊姊家。
一早看到她模樣的姊姊、馬上將她藏到家中。然後、她緊緊抱著姊姊、大哭了一陣子。
從那天後、她暫時逃離暴力的恐怖、吃著姊姊做的溫暖料理、久違的感受到家的溫暖。
只是、丈夫某天會來抓自己回去的恐懼、一直在她腦海的角落揮之不去。
被奪去的「面容」
而這不安、在去年10月成了現實。
丈夫來到姊姊的家。
強行進入家中、非常憤怒地要將她帶回。
當她甩開丈夫的手、拒絕回家後、丈夫將他手中的容器瓶蓋打開、朝她的臉潑灑。
當時事件的姊姊家
裡頭的液體飛灑而出、濺在她的臉上跟身體。
同時間全身劇痛、之後的事她便不清楚了。
「醒來時、人就在醫院了。下一秒、只想著從這痛苦中解脫」
被送到醫院的她馬上接受手術。被潑灑的似乎是類似硫酸的藥物、必須接受數次皮膚移植手術來恢復。
然而、除了臉與身體上的傷痕、她的心也留下深刻的傷痕。
負責治療她內心的主治醫師、感受到她精神狀態非常不安。
主治醫師シャリリ
「她自從事件後、光看到人就擔心那人會不會傷害自己、而非常恐懼。幾乎無法入睡、整天哭泣、內心也嚴重受傷了」
今年2月、丈夫因涉嫌殺害シャリヤン、被警察逮捕了。但、這並無法治好她的傷。
在「幸福阿拉伯」持續進行的童婚
シャリヤン所在的葉門是位於阿拉伯半島南側、人口約3000萬人的國家、過去曾因農業與貿易的繁榮而被稱為「幸福的阿拉伯」。
但近年、葉門長期陷入政治亂象與內戰、跟周邊富於的產油國相比、成了中東經濟底層的國家之一。在這貧困的背景下、為了生活而看向結婚訂金、將年幼女兒許配的父母從未斷絕過。
加上在葉門的傳統裡、10幾歲少女結婚並不罕見、由父親決定結婚對象的習俗也根深蒂固、也是無法根絕「童婚」的原因之一。
依聯合國定義、未滿18歲結婚都稱為「童婚」。依聯合國兒童基金會推算、2020年在葉門「童婚」的少女超過400萬人、其中有140萬人未滿15歲。
聯合國人口基金也發出警告、因長期內戰的影響在葉門社會少女與女性的立場越來越勢弱、針對少女跟女性的暴力直到2017年2年間增長到63%以上、260萬的女性正在遭受暴力的危險。
實際上、我們也採訪了在葉門首都沙那的女性支援團體「葉門婦女聯合」、團體每個月都接收到約60件來自丈夫暴力的諮詢、而這些基本都是「童婚」案件。
葉門婦女聯合 ユーン小姐
「葉門並沒有規範『童婚』的法律、首先必須先立法。希望國際社會能保護這些女孩的權利、給予改變社會與環境的協助」
守護少女們的權利
接受採訪的シャリヤン、現在仍未出院、採訪當日中途也曾一度說不出話。
即使如此還是接受採訪、是因為她帶著希望其他人不要跟自己有相同經歷、也希望藉此改善一些事態的強烈信念。
「發生在我身上的、其他孩子也正在經歷。我們不是誰的奴隸、無論是多年幼的孩子、都有自己的想法。不只葉門的人、希望全世界的人都能理解像我們這樣的女性」
關於「童婚」、聯合國雖提出保護少女們權利的訴求、但內戰嚴重化的葉門、國內就連討論也無法推進。
為了不讓像シャリヤン這樣的孩子們或女性們的權利被剝奪、我們會繼續採訪並傳達她們的微小聲音。
12歳の花嫁~児童婚、DVの現実~ 2021年4月21日 15時00分
目を覚ますと、顔に激痛が走りました。そこは病院のようでした。なぜ自分がここにいるのかわからないまま、痛みの理由を知ろうと鏡の前に行くと、そこに映っていたのは、別人のような自分の姿でした。(ドバイ支局長 山尾和宏)
顔に傷を負った女性
「もし彼と結婚していなかったら、学業を終えて、友だちといっしょに遊ぶことができていたと思います」
こう話すのは、病院で取材に応じてくれたアルアヌード・シャリヤンさん(19歳)です。
夫からのひどい暴力で入院していました。
彼女は、顔の左側にやけどを負ったような跡が残り、左目はほとんど開いていませんでした。顔のけがのためか、話をしている最中、時折ことばがうまく出てこないこともありました。
自分が受けた被害を、イエメンで起きていることを、1人でも多くの人たちに知ってもらいたいと、今回、取材に応じてくれました。
幸せだった母親との生活
彼女は、イエメンの首都サヌアで生まれました。
父親は物心ついた時にはすでにおらず、裕福ではないものの、母と姉と満ち足りた生活を送っていました。
しかし12歳になったある日のこと、母親から思いもよらないことを言われます。
「あなたは、結婚することになったのよ」
20歳以上も年の離れた、いとこの男性との縁談がまとまったと、突然、言われました。
母親は重い病気を患っていて、彼女の将来のことを案じたからというのが理由でした。いとこといっても、会ったことはなく、どんな人なのかわかりません。
結婚式は行われず、彼女は不安を抱えたまま男性の家に住み、「新婚生活」が始まりました。
彼女は、当時12歳。「結婚」や「結婚生活」の意味が分かっていなかったといいます。
暴力の日々
夫は、なぜかいつも不満そうな表情を浮かべていました。彼女とろくに会話をしようともせず、ことあるたび、彼女をどなったといいます。
しばらくたったある日、夫はいきなり彼女の襟をつかんで引きずり、彼女の足を鎖で柱につなぎました。
やめてほしいとお願いしても、夫は何も答えてくれませんでした。それから毎日のように、棒などで殴られました。あまりの痛みに涙が止まりませんでした。
なんとか夫から離れようとしますが、鎖のせいで逃げることはできませんでした。彼女が気を失うまで、その暴力は続いたといいます。
「彼は理由もなく私を殴ってきました。何を考えているのかわかりませんでした」
ある時、友人の結婚式に出席することが特別に許されました。
しかし、体の傷跡が他の人に知られると、騒ぎになると思いました。傷口を衣服で隠し、周囲には何も言えませんでした。
それほど夫が恐ろしかったといいます。
逃げ出した、でも…
「結婚生活」が始まってから2年ほどたったある日。彼女は、隙を見て逃げ出しました。
後先のことは考えず、ただ目の前の暴力から逃げ出したい、その一心でした。逃げた先は同じサヌアにある姉の家。
あざだらけの彼女の姿を見た姉は、すぐに家の中にかくまってくれました。そして、彼女は姉の体にしがみついて、しばらく泣き続けました。
それからしばらくの間、彼女は暴力の恐怖から逃れて、姉の作る温かい料理を食べ、久しぶりに家庭のぬくもりを感じることができました。
ただ、いつか夫が自分を連れ戻しに来るかもしれないという恐怖は、ずっと頭の片隅から離れなかったといいます。
奪われた「顔」
そしてその不安は、去年10月、現実のものとなってしまいます。
姉の家に夫が来たのです。
無理やり家の中に入ってきて、頭に血が上った様子で、彼女を連れて帰ろうとしました。
しかし夫の手を払って、家に帰ることを拒むと、夫は手に持っていた容器のふたを開け、彼女の顔に向かって中身をばらまきました。
中からは液体が飛び出し、彼女の顔や体にかかりました。
同時に全身に激痛が走り、そこからのことはよく覚えていないといいます。
「気がついたら、病院にいました。それからは、この苦痛を終わらせることばかりを考えています」
病院に運ばれた彼女は、すぐに手術を受けました。浴びせられたのは硫酸のような薬品とみられ、皮膚の移植手術を複数回行わなければなりませんでした。
そして、顔や体の傷痕以上に、彼女の心には深い傷が残っています。
彼女の心のケアを担当する医師は、彼女の精神状態に不安を感じています。
担当のシャリリ医師
「彼女は事件のあと、人を見るだけで何かをされるのではないかと、恐れるようになっています。なかなか眠ることもできず、泣いてばかりで、心にも大きな傷を負ってしまいました」
ことし2月、夫はシャリヤンさんを殺害しようとした疑いで、警察に逮捕されました。しかし、彼女の傷が癒えるわけではありません。
「幸福のアラビア」で続く児童婚
シャリヤンさんが暮らすイエメンは、アラビア半島の南に位置する人口およそ3000万人の国で、かつては農業や交易で栄え「幸福のアラビア」と呼ばれたこともありました。
しかし、近年、イエメンは長く政治的な混乱と内戦が続き、裕福な周辺の産油国とは対照的に、中東でもっとも経済的に貧しい国の1つです。こうした貧しさを背景に、生活のため結納金を得ようと、幼い娘を結婚させる親があとを絶たないといいます。
またイエメンでは伝統的に、10代の少女が結婚することは珍しくなく、結婚相手も父親が決める習慣が根強く残っていることも、「児童婚」が無くならない理由のひとつだと言われています。
国連は18歳未満で結婚することを「児童婚」と定義。ユニセフの推計で、2020年にイエメンでは、「児童婚」の少女は400万人に上り、このうち140万人が15歳未満だとされています。
さらに国連人口基金は、長引く内戦の影響でイエメン社会における少女や女性の立場がいっそう弱くなり、少女や女性への暴力は2017年までの2年間で63%以上増加し、260万人の女性が暴力の危険にさらされていると警告しています。
実際に、イエメンの首都サヌアにある女性の支援団体「イエメン女性連合」に取材すると、団体には毎月、夫からの暴力の相談が60件ほど寄せられ、そのほとんどが「児童婚」のケースだといいます。
イエメン女性連合 ユーン氏
「イエメンでは『児童婚』を規制する法律がないので、まずは法律を作らなければなりません。国際社会には、彼女たちの権利が守られるよう、社会や環境を変えていくための支援をしてほしい」
少女たちの権利を守るために
取材したシャリヤンさんは、今も退院のめどが立たず、話を聞かせてもらった日も途中でことばに詰まることもありました。
それでも取材に応じたのは、自分のような経験を誰かにしてほしくない、事態が少しでも改善するならと、強く願っているからだと話しました。
「私に起きたことは、他の子たちにも起きています。私たちは誰の奴隷でもなく、どんなに幼い子でも、自らの考えはあるのです。イエメンの人たちだけでなく、世界の人たちには、私たちのような女性のことを理解してほしいのです」
「児童婚」をめぐって、国連は少女たちの権利保護を訴えていますが、内戦が深刻化するイエメンでは、国内の議論すら進んでいません。
シャリヤンさんのような子どもたちや女性たちの権利が奪われることのないように、彼女たちの小さな声を引き続き取材していきたいと思います。
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